金沢・1泊2日の目安
金沢を物語で旅する
戦火に遭わなかった城下町が、そのままの区割りで残っています。
壊れなかったから見える、江戸時代の町の設計
金沢は加賀藩の城下町で、大きな戦災を受けませんでした。そのため武家地・町人地・寺町といった区割りが道の形として残っています。加賀藩は軍事より文化に金を使ったため、工芸が産業として続きました。今の金沢の見どころは、その両方の結果です。
それぞれの場所で、何が分かるか
1金沢城公園

城を中心に町が配置されていました。ここに立つと、なぜ金沢の道が曲がりくねっているかが分かります。まっすぐ攻め込ませないための設計です。
2兼六園

大名庭園です。藩の力を軍備ではなく庭に注いだ結果ともいえます。池や築山は自然に見えて全て人工で、どこから見ても絵になるよう計算されています。
3ひがし茶屋街

藩が公認した遊芸の町です。町人地の中でも特別な区画として置かれました。格子の建物が一続きに並ぶのは、区画ごと計画的に作られたからです。
4近江町市場

城下の台所として開かれた市場が、今も同じ場所で続いています。日本海の魚が並ぶのは、金沢が海に近い平野の街だからです。
5金沢21世紀美術館

伝統工芸の街が、現代美術館を中心部に置きました。過去を保存するだけでなく、今の作り手を呼び込む選択です。街が博物館になることを避けた判断が見えます。
6武家屋敷跡
土塀と用水が残る一角です。用水は防火と生活のために町中に張り巡らされました。城下町のインフラがどう作られていたかが分かります。
7尾山神社

加賀藩主・前田利家を祀ります。門にステンドグラスが入っているのは明治初期の建築で、藩がなくなったあとに何を新しいと考えたかが形に出ています。
8にし茶屋街

ひがし茶屋街と対になる、城下の西側の茶屋町です。犀川を挟んで反対側にあり、藩が遊興の場所を城下のどこに置いたかが、二つの茶屋街の位置関係で分かります。
9妙立寺

藩が金沢城の外に置いた寺で、隠し階段や落とし穴が仕込まれています。城を守る仕掛けを寺に持たせるという発想に、外様大名として警戒され続けた藩の立場が出ています。
10主計町茶屋街

浅野川沿いの茶屋町です。ひがし茶屋街とは川を挟んだ関係にあり、水運と遊興が同じ場所にあったことが配置で分かります。
11石川県立美術館

加賀藩に伝わった品を中心に収めています。藩が何を集め、何を良しとしたかが、そのまま並んでいます。
まわり終えると
金沢をまわり終えると、江戸時代の都市計画が「今も歩ける形」で残っているのが分かります。道の曲がり方、用水の位置、区画の分かれ方に、全部理由があります。
この11か所を最短で回るなら
1泊2日で、移動は合計3時間。泊まるなら片町周辺。
- 1日目 近江町市場→主計町茶屋街→ひがし茶屋街→金沢城公園→兼六園→石川県立美術館
- 2日目 武家屋敷跡→金沢21世紀美術館→妙立寺→にし茶屋街→尾山神社
何時にどこへ着くかまで入った旅程は、金沢のモデルコースにまとめています。
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